「祝福された者」― 第3回ICUメサイア公演によせて

                       伊東 辰彦 (国際基督教大学人文学科教授、同宗教音楽センター長)

 1784年5月26、27、29日と、6月3、5日に、ロンドンのウェストミンスター寺院とパンテオンの二ヵ所を会場として、ヘンデル(1685-1759)を記念する音楽祭が開かれた。国王ジョージ3世の命(めい)によるこの催しについては、音楽史家チャールズ・バーニー(1726-1814)による詳しい記述が残されている。それによると、5月29日と6月5日のウェストミンスター寺院でのコンサートにおいて、ヘンデルの『メサイア』が全曲演奏され、熱狂的な歓迎を受けた。ちなみに、それ以外の日に演奏されたのは、『戴冠式アンセム』の一曲、『デッティンゲン・テ・デウム』、『葬送アンセム』の一部、オラトリオ『エステル』と『サウル』の序曲、『エジプトのイスラエル人』、『ジョシュア』、『ユダス・マカベウス』からの合唱やアリア、協奏曲などで、全曲が演奏されたのは『メサイア』だけであった。

 このウェストミンスター寺院でのコンサートにおいては、総勢525人の演奏者が西側の祭壇に配置され、堂内はまさに巨大な音響空間となった。バーニーの記録によれば、オーケストラは250名、独唱者を含む合唱は275名で(各々の名前と着席位置についてもすべて記録がある)、いわゆる指揮者はおらず、オルガン奏者ベイツが、中央と両側に配置された三人の補助指揮者の助けを借りて、オルガン席から全体を統率したのである。一部の保守的な聖職者から、この場所でヘンデルを崇拝することは聖なる寺院の冒涜であるという反対意見もあったが、新聞や、大方の一般の意見は好意的であった。

 この催しは、その翌年からも繰り返され、1788、1789年を除く毎年、1791年まで継続された。演奏者の数はさらに増大し、1785年には616名、1786年には640名、1787年には806名、そして、1791年には、なんと1068名に達した。ロンドンを訪問したハイドンが参列したのは、この、1791年の『メサイア』の演奏会であった。ハイドンは、ヘンデルの音楽と聴衆の熱狂に圧倒的な感銘を受け、その結果として、帰国後、英語の台本によるオラトリオ、『天地創造』と『四季』を作曲することになったのである。

 これ程大規模ではないにせよ、同様な催しは、リヴァプール、マンチェスターなど、イギリスの他の都市や、ドイツのベルリン、ライプツィヒでも行われ、また、全曲演奏ではないものの、1786年にはニューヨークとフィラデルフィア、1787年にはボストンと、その影響は新大陸にも及んだ。1786年5月4日のフィラデルフィアでの演奏会には、当地の新聞報道によれば、230名の合唱と50名のオーケストラが参加し、1000枚近くの入場券が売れたという記録があり、そして、なんと言っても「ハレルヤ・コーラス」が聴衆に大きな感銘を与え、人々はその崇高さに打たれたのであった。

 これはまさに「ヘンデル・ブーム」としか言いようがない現象である。そして、特に『メサイア』、なかでも「ハレルヤ・コーラス」が、人々の耳に強い印象を残して来たのは確かである。もちろん、このオラトリオの他の部分にも十分に素晴らしい音楽が存在することは、今日の演奏者にも聴衆にも自明のことなのだが、第2部を締めくくる「ハレルヤ・コーラス」にたどり着いた時の、胸のつかえが下りたような、何とも言えぬハレバレとした感覚は、分かっていながら、何度経験しても不思議な感動を与えてくれるのである。その幸せな瞬間を共有できる我々は、祝福された者である。    (第3回ICUメサイア 演奏会プログラムより転載)

解説 ― 初めて聴かれる方にも楽しんでいただくために ―

                               折田 真樹 (バリトン、合唱練習指揮者)

 全曲を演奏すると3時間近くもかかるオラトリオ「メサイア」を聴く時、特に初めて聴かれる方は、標識のない道を、連れもなく一人で歩かされているような、退屈を通り越して時に不安な気持ちさえ抱かれるかもしれません。何もこれは、このメサイアという楽曲、もしくはオラトリオという宗教色の強いジャンルの特徴という訳ではありません。交響曲にせよオペラにせよ、大好きなメロディや盛り上がりのあるフィナーレ以外はとりあえずとっつきにくい、というのが人情ではないでしょうか。しかし、長大なものにもちょっとした約束事があり、それを知っていると随分身近なものになってくるものです。少しだけ例をあげます。交響曲においては、(多くの場合)美しく親しみ易いメロディがまず提示され、次第に姿を変え、もとの形もわからなくなってしまった、と思った頃に件(くだん)のメロディが戻ってくる、しかもより潤沢な色彩を帯びて戻ってくること。オペラブッファ(喜歌劇)においては、朝から始まり真夜中に終わる、それも ちょっと困った性格の主人公が恥をかかされ、謝ってめでたしめでたしハッピーエンド。これらのことを知って接するのとそうでないのとでは、聴く側のリラックスの度合いが全く違うのです。

 さて、メサイアにおいてこれらの約束事に相当するもの、それは、旧約聖書の世界と新約聖書の世界の間の、数千年の時間を超えた一致感、とでも呼べるものではないでしょうか。まあ、これは聖書全体のテーマに関わることであり、約束事などと呼んでは不謹慎であるとお叱りを受けそうでもありますが、むしろ聖書に親しんでいただくためのきっかけにもなるのでは、という希望も込めて約束事と呼ばせていただきたいのです。参考と確認までに付け加えさせていただくと、旧約、新約の約の字は、神と人間との間の約束、もしくは、契約、という意味です。

 さて、この視点から観た時の各部のポイントを示させていただきましょう。  第一部。 前半、辛い現実と慰めが繰り返された後、救世主の誕生の予言、という最も大きな希望でクライマックスを迎えます(第11番)。その後に奏でられる田園楽とともに数千年が経過し、気が付くと確かに生まれているみどり児イエスを前にして、福音書中最も有名な箇所の一つであるイエス誕生物語が語られます。天使達ももちろん登場します(第15番)。その後、再び旧約聖書から救い主誕生の歓喜を記した箇所が歌われ(第16,17番)、旧約・新約間の一致を象徴するかのように、イザヤ書とマタイ伝からの言葉が同じメロディで二重唱として続き(第17番)、軽やかな合唱でしめくくられます。

 第二部。洗礼者ヨハネがイエスを指して言われた「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」の冒頭の曲の後、再び旧約の世界へひきずり込まれます。それは、来るべき救世主の受難と犠牲(いけにえ)の予言であり、ダビデ、エレミアの受難を救世主の受難になぞらえる類比(アナロジー)であります。全曲中、最も暗い曲の続く箇所ですが、その後に続く5声部の合唱は、ひとしお感動的です(第30番)。キリストの昇天を軍隊の凱旋に例えて歌われるこの歌を、どうか好戦的な歌だ、などと考えないでください。何しろ天使達が迎え、礼拝するのですから(第31番、今回の演奏では割愛)。さらに、この素晴らしい知らせ―福音―は、「平和の福音」に他ならないのですから(第34a)。旧約中の予言は人々のむなしい夢を見通します(第36番)。しかし、天に住まわれる方の絶対性の前にはいか程のものでもないのです(第38番)。殆どが旧約中からの言葉で語られてきた第二部も、最後は新約の言葉でしめくくられます。しかし、この有名な「ハレルヤ」という言葉は、実は、新約中にはヨハネの黙示録のこの箇所にしかなく、この言葉自体が旧約・新約の世界を結ぶ1つの鍵でもあるかのようです。

 第三部。死と復活。確かに最もむずかしい箇所です。しかし、アダムというひとりの人によってもたらされた死は、キリストというひとりの人によって克服される(第41番)とするパウロの信仰的論理に対し、やや強引と思いながらも、旧約・新約をも越えた、もっと壮大な視点からのエネルギーを感じ、思わずワクワクしてしまうのは私だけでしょうか。終曲は、第二部の最後と同じ、ヨハネの黙示録です。いやぁ誠にこの黙示録のハレルアとアーメンは、旧約・新約をはるかに超えた、永遠へ普遍の相へ向けての叫びである、という思いを、メサイアを通唱するたびに強くしていくのであります!    (第2回ICUメサイア 演奏会プログラムより転載)

 

 

トップ   編集 凍結解除 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2008-08-09 (土) 02:12:38 (5732d)